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- 1982年.高専 1年生のとき,
SHARPのポケコン PC-1275 と出会う.
学校の数学教室より無償貸与があったので夏休みの間借りて遊ぶ.
BASICのプログラム三昧であった.
- 1983年.高専 2 年生.NEC PC-2001 を購入.
ハンドヘルドコンピュータという訳の分からない名称だった.
44×2キャラクタの液晶つき.
単精度演算ができる BASIC が付いていたが,
倍精度がないので,前出のSHARPのものより劣るなぁと不満に思った.
特に液晶にドット単位でアクセスできないことはつらかった.
USR関数があったので機械語が使えるはずなのだが,
使い方がついに分からなかった.すぐお蔵入り.
結婚するまでは所有していたが,最近行方知れず.
その後しばらくは携帯コンピュータには縁遠い日々が続く.
- 1994年12月.この頃にはラップトップは沢山世に出ていたが,
どれもがラップクラッシャーと呼ばれるほど重く,
持ち運ぶのは到底無理と認識していた.
それでこの頃から徐々に話題に上がって来た「サブノート」に興味を持ち始める.
ある特別経費でCompaq Contura Aero 4/25 170FW を購入.
Intel 80486SX, 25MHz. 8 MB memory + 170 MB HDD,
640x480 DSTN LCD. これで大きさが B5版,重さ 1 kg
少々であった.OSはMS-Windows ver.3.1 だったかな?
すぐにメモリを追加し計12MBにするが,アプリケーションを使いはじめて
しばらくすると理由もなくフリーズするので,
ほとんど実用には堪えないマシンだった.がっかり…
PCMCIA スロットを搭載しているので,
Alied Telesis C-6000 を使い,ツイストペアでネットには接続していた.
やたら複雑な手順でインストールした.
ftp, telnet を使ってたように記憶している.
n143.is.tokushima-u.ac.jp を取得,別名 risa.is.tokushima-u.ac.jp としていた.
その後,学生が Linux を入れようとした形跡あり.
- 1996年 2月. Panasonic Pronote mini CF-11FS52, 486DX2, 75 MHz
メモリ24MBに拡張. HDD は540MB.
Windows95 preinstalled model だったが,dual boot の 2nd OS として
Linux (slackware) を入れる.そのままでは起動できなかったので,
パナソニックの社員から lilo.conf の書き方を教えてもらう.
1行目に「linear」と行頭に書けば済んだように記憶している.
幸い X-Window system は動作した.Windows はほとんど起動させなかった.
DSTN LCD 640x480の root window で 80x24 の kterm を動作させると,
もうそれでほとんど画面は一杯であった.
FreeBSD 4.9-RELEASE までは入れて運用していた.
一度マシンごと踏んでしまい,液晶を割ったことあり.修理は高額だった.
TDK のPCMCIAモデムでダイアルアップ PPP をしていた.
ほぼサブノートUNIXマシンとしての自分がもつ理想を実現したマシンであった.
- 1996年 9月. Panasonic Let's note AL-N1, Pentium 133 MHz,
メモリは 24 MB から 32 MB に拡張,Linux(Slackware)を入れる.
DSTN 800x600 LCD (あら,TFTじゃなかったのね).
BIOSを起動時に直接設定できるようなノートパソコンは,このモデルも含め,
当時は皆無で,Windowsに設定アプリケーションがあることが多かった.
よって Windowsを捨てるのは冒険だったのだが,このモデルは誰かが
setupn1 という Linux で動作するBIOS設定コマンドを開発してくれたので
Windows と決別することができた.
放送大学(幕張)の図書館にて,ロッカーから落として液晶を割ったことあり.
修理代は非常に高く付いた(こんなんばっかりや).
当時のサブノートとしては最高のマシンだったと思う.ひたすら使い倒す.
在外研究員(1998.5-1999.4)時代にも現地に持って行き,
PCMCIAなTDK modem を刺して,アパートからHouston 大学に
ダイアルアップ PPP していた.20分間回線を連続して利用できた.
最終的にFreeBSD 4.9-RELEASE を載せ,廃棄処理のあと,
自宅でサーバとして余生を過ごしていたが,2005年9 月,
ついにマザーボードがご臨終となる.
(101 System Board Failure
という有名なエラーで,実は直せるらしいのだが…) HDDは抜き出して,IDE <->
USBコンテナを大家先生に借り受け,他のFreeBSDマシンでマウントし,
中身を救った.
- 2001年 8月. IBM Thinkpad s30. 1024x768 LCD.
なかなか堅牢ないい作りである.256MBに拡張.
ネットで情報収集しXFree86が動作することを確認してから購入を決めた.
プレインストールされていた Windows は一度も動作させずにさようなら〜.
TurboLinux 6.0 を入れていた.DOS/V系サブノートにUNIXを入れて用いる意味では
Let's note 後,最も完成された一品と思えるマシンだった.
LATEX+ dvips + ps2pdf + AcrobatReader
でのプレゼンが自己完結的に行え,出張には重宝した.
国際会議での発表プレゼンは事前に完成させず,現地で LATEXスライドを追加,
という悪癖が定着.
第一線を退いてからはしばらく Windows 2000になっていたが,最終的に
FreeBSD6.1-RELEASE まで入っていた.
しかし,マザボレベルで突然電源が落ちはじめたため引退.廃棄.
- 2003年3月. Apple Macintosh PowerBook G4, 1GHz, 15inch.
1280x854 LCD.
512MBに拡張. MacOS X 10.2(Jager).
大家先生@電気電子のオススメで買う.
当初二ヶ月ほどはあまり使い途がなかった(サブノートしか興味が無かったので…)
が,大家先生所有の PowerBook の
/usr/local
の下や
X11 とその周辺のツールを
譲り受けて以来,本格的に使い始める.ことえりが kinput2 で使えることを知り,
その後,激しく使い倒す.海外にも持ち出す事たびたび.2003年10月からは
B-mobile と組み合わせてウハウハに…
しかし重いのがたまに傷.2007年退役.
- 2003年3月,Zaurus CL-700 というのを使うが…詳しくは
ここ
- 2005年3月. Apple Macintosh PowerBook G4, 17inch, 2GB,
肌身離さず.重いけどもう気にしない.
AppleStore にて専用ディパックも買う
(^^;
1440x900 LCD. iSync の本格的使用を開始するため .Mac に加入.
G5(Desktop) と PowerBook 間で各種データを同期.
とりわけ iCalの同期はたまらなくうれしい.
購入時には10.3(Panther)であったが,その後10.4(Tiger)にする.
- 2005年6月.Sony VAIO U-100(だっけ)を購入.しかし即使わなくなる.
- 2006年3月.Apple Macintosh MacBook Pro, 15inch 2GB.
とうとうIntel にしてしまう.特に感慨はない.
17inch と同じ解像度があって,A4 サイズなのはいい.ただ,
発熱はただものではない.
ラップトップで使うと間違いなく太ももがバーベキューとなるだろう.
使用三ヶ月でバッテリーがイカれる.無償交換後は問題なし.
- 2008年3月. Apple Macintosh MacBook Air, 13 inch 2GB.
日本でのプレスリリースのあった当日に発注する.
自分の使い方からするとほぼベストなサイズとパフォーマンスのマシン.
ディスプレイは13 inch ながら解像度は1,280 x 800と,
最初に買ったPowerBook のそれと同じぐらいで,
時代の変化を感じてしまう.
Leopard になって Terminal.app が大幅に改良され,
X-Window に依存するような仕組みも少なくなったことから,
いよいよ X11+kterm(mlterm) とおさらば.発熱も非常に少ない…
その後2010年にディスプレイのヒンジが破壊し,退役.
- 2008年3月.FMV LOOX U 購入.プレゼン用.B-mobile hours と組み合わせる.
特に感想無し.2022年現在もFreeBSD 11.x を入れた状態で授業用に使用している.
- 2010年 8 月.MacBook Pro 13inch 導入.重い,
インタフェースも豊富で文句無し.4GB memory.
mini-DVI では音声も通るようになった模様.
しかし,短命に終わる…
- 2010年 11月. MacBook Air 11 inch 購入.これまたプレスリリース翌日に発注.
現物はすばらしい… 4GB memory とした.1366x768 の画面サイズはやはり
縦がもうちょっと欲しい感想.
Snow Leopard -> Lion と移り変わり, 2013年10月,Mavericks 導入.
これまでのノート型Macとしては最長の使用期間となった.
2015年6月の時点でトラックパッドのクリックが効かなくなり,
いよいよ退役となった.
- 2015年 7月.MacBook Retina 12 inch. 発注は4月からかけていたが,
手に入ったのは7月となった.Retina の表示は老眼が入ってきた者にとっては
誠にありがたい.バッテリは2017年に一度交換.
トータル4年間機嫌よく使ったのだが,
2019年6月,キーボードのバックライトが消え,
キーボード,トラックパッドが効かなくなる.
どうやらBluetoothレベルでそれらが認識できなくなった模様.
バッテリーが膨らんで影響しているとの情報もあるが,
バッテリー交換して尚動かないとツライので,廃棄かな.
しばらく iPad Proで暮らしてみたが,iOSの世界は耐え難い…
- 2019年 7月.MacBook Air (Mid 2019). 発注は発売の翌日に行った.
お金がないので安いほうにする.
13inch の世界に久しぶりに戻った.解像度は2,560 x 1,600. が,
やはりズッシリと重い…touch id はそこそこ便利.
セキュリティのため,スクリーンセーバ起動時間を短くしたとしても
レジュームが楽.2021年3月,研究室学生用に譲り渡す.
- 2021年 3 月.MacBook Air (M1 2020). Apple Silicon 搭載版として
プレスリリースあった翌日発注.7コアGPUの安いやつ.
OSを更新するとき,空き容量が少ないとえらい苦労するので,SSDは1TBとした.
計算はそれでもiMac27inch より速い.
2021年 6 月.Anker PowerExpand ドッキングステーションを自室に導入し,
MacbookAir をクラムシェル状態で使えるように設定.
よって自室におけるデスクトップコンピュータの歴史もこれで終了.
- 2023年2月.MacBook Air (M2 2022). 13 inch, 科研購入.8 core, 10 core GPU,
16 core neural engine. 16GB memory. 512GBに落とした.2560 x 1664.
ディスプレイに iPhone と同じようなノッチが登場.メニューにいろいろアイコ
ン表示させてたらこのノッチで隠れるものが発生.見えないが,マウスカーソル
は届く模様.最初Dropboxアイコンが隠れていて,結構難儀した.
touch id ボタンが大きくなった.
- 2023年12月.MacBook Air (M2 2023) 15 inch. 科研購入.
8-core CPU, 10-core GPU,
2880 x 1864. 1.5 kg...
Sonoma 14.1.なにせ,重くてかさばる…
- 2024年2月.MacBook Pro (M3 Pro) 14 inch.
11-core CPU, 14-core GPU, 18 GB memory.
3024 x 1964 Retina, 1.5 kg, Sonoma 14.3.1.
重いけどサイズはマシに.上のMacBook Air からは移行アシスト+
Thuderbolt ケーブル経由でデータ転送.最大560MB/s出ていた(ホントかな?)
30分ほどで移行作業終了.C言語スカラ計算だとM2 UltraなMac Studioより1
速い.
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Contact address: ueta @ tokushima-u.ac.jp
2024-09-14